連載:その時“光”の歴史は動いた

【第2回 分光の誕生】

 前号で、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが、「色は色は太陽なしでは見ることはできない、色の違いは白(光)と黒(闇)との混合によって生じる」と考えていた、と紹介しました。 この説明は、あながち間違っているわけではありません。 私たちは、目に光が入ることで視細胞が光を受け取り、その信号が脳に伝わり物が見えたと認識します。 それは太陽の光でも蛍光灯の光でも構わないわけですが、それらの光がモノに当たって反射し、その反射光を私たちは見ているわけです。 そして、いわゆる白色光には虹の七色…つまり、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫各色の光が混ざっています。 そのうちのどの色の光を吸収しどの色の光を反射するかで、そのモノが何色に見えるかが決まるわけです(恒星など自ら光を発するものは異なります)。 熟したトマトが赤いのは、トマトが青や緑の光を吸収し、赤い光だけを反射しているからです。

 太陽光などの白色光は虹の七色が混ざったものだ、ということはアリストテレスも言及していますが、これを実験的に確かめたのはイギリスの科学者ニュートン(1643−1727)です。 彼は1664年から1665年にかけて、性能のよい凸レンズを作るため、プリズムに光を当てる実験を行いました。 ペストの大流行によって大学が閉鎖されてしまったため彼は実家に戻って実験をしたそうですが、彼は窓の扉に小さな穴をあけて真っ暗な部屋に太陽光を取り入れプリズムに当てました。 すると白色だった太陽光が七色に分かれたわけです。 分光学誕生の瞬間です。 ニュートンはさらに、七色に分かれた光をレンズで集め再びプリズムに通し、白色光に戻ることを確かめました。 こうしてニュートンは、太陽の白色光はすべての色の光が混ざったもので、色によって屈折する確度が異なることを明らかにしたのです。

 その後、光を分けて調べる分光学は大きく発展し、天文学の進展に大きな役割を与えました。 1802年、イギリスの物理学者ウォラストン(1766−1828)は太陽光を分けて作りだした虹(スペクトル)の中に何本もの暗線があることを発見します。 1813年にはドイツの物理学者フラウンホーファー(1787−1826)も同様の発見をし、これが太陽光が太陽大気によって吸収されてできたものであることを明らかにしました。 こうして手に取ることができない星も、その光を詳しく調べることで組成や運動などを詳細に調べることができるようになっていったのです(運動は光のドップラー効果を用いて調べますが、それはまた別のお話)。

 やや時代が遡った1800年には、天王星の発見で有名なハーシェルが、赤外線を発見します。 それぞれの色の光はどのくらいの熱を持っているのかを調べるため、ハーシェルはプリズムで分けた太陽光の各色の光に黒く塗った温度計をそれぞれ置きました。 すると彼は、赤い方に行くにつれて温度上昇が大きいことに気づいたのです。 そこで赤色の光の外側に温度計を置いてみたところ、その温度計が最高温度を示したのです。 これが目に見えない光を初めて発見した瞬間でした。 ハーシェルの発見に触発されて翌1801年にはドイツの物理学者リッタ(1776−1810)が紫外線を発見しています。 1864年にはイギリスの物理学者マクスウェル(1831−1879)が電波の存在を予言、1888年にドイツの物理学者ヘルツ(1857−1894)によって存在が確かめられました。 1895年にはドイツの物理学者レントゲン(1845−1923)がX線を、1900年にはフランスの物理学者ヴィラール(1860−1934)がガンマ線を発見しています。 現在ではこれら目に見えないすべての光(電磁波)を用いて多角的に天体の観測が行われています。 そんな話も、今後のコラムで紹介されるでしょう。ご期待ください。


参考文献
・キャノンサイエンスラボ・キッズ「光の科学者たち」
  http://web.canon.jp/technology/kids/history/index.html
・見えない宇宙を観る ?天体の素顔に迫るサイエンス?
 Lars Lindberg Christensen、Robert Fosbury、Robert Hurt 著 岡村定矩 訳


(塚田:平塚市博物館 2015年05月)