連載:世界で星はこう言い伝えられていた!

【第9回 木星と暦】

 前回は金星についてお話ししました。 金星は地球から見える惑星のなかでは最も明るい星です。 金星についで明るいのは木星で、こちらの星も人々の目を引いていました。

 天文学の一つの重要な側面として暦を作るということがあるました。

 日本では江戸時代の途中までは中国から輸入していたものを使用していました。 特に中国から輸入された最後の暦である「宣明暦」は800年以上使用されていました。

 さらに遡ってみると暦というものは中国では前漢の頃には存在していました。 古代の中国の暦では日月の周期の他に、木火土金水の五星の周期を用います。 その中で最も重要な役割を果たすのが木星なのです。

 歴史的な流れを見ると木星という名前は後についたもので、歳星がもともとの名前だったようです。 最も主要な惑星であった、歳星に対して五行の中で主要な「木」の名前が与えられ、その後「星」という字を加え「木星」という名前になりました。 古代中国における暦はただ木星を基準にしているわけではありません。

 基準となるのは木星と、ある点から反対に動く仮想の天体「太陰」です。 この「太陰」は月とは別物です。 この「太陰」が基準点から木星と反対方向に同じ速度で動き、その存在する位置によって天の赤道を十二等分し「寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥・子・丑」と名前をつけました。 この十二個を十二振といい、「太陰」は一年に一振動きます。

また、十二振を方角に当てて、子の方角の中央に正北を置き、寅の初めを北東に起き、卯の中央に正東を置くといいたようにしました。 この方角をもとに十二種の季節を決めて、また、太陽が子の方向にある時を子の刻、寅の方向にある時を寅の刻と決めました。

このよう木星は暦を決める上でとても大切な役割を果たしていました。



(貴村: 2016年02月)