連載:宇宙開発裏話

【第6回 バレンタインと小惑星】

 バレンタインと小惑星探査って実は縁が深いんです。 今から12年前のバレンタインデーに、探査機「ニア・シューメーカー」がその名も ずばり「エロス」という小惑星にランデブーしました。 また、昨年の今頃、以前ディープインパクト探査機が大穴を開けた彗星にスターダ スト探査機が再訪しましたが、最接近日は同じくバレンタインデーでした。 今回は「はやぶさ」の大先輩、ニア探査機についてチョコっと振り返ってみましょ う。

 あまり知られていませんが、ニア計画の発端は日本にありました。 1990年初頭の宇宙科学研究所では、長年にわたる理学者の悲願に応えようと大型固 体ロケットM-Vが開発中でした。 その素晴らしい能力を活かし、研究者たちは21世紀初頭の惑星探査計画を練ったの です。

 月面ペネトレータ、月面車、火星周回機、金星バルーン、彗星サンプルリターン、 そして小惑星ランデブー。 待っていましたといわんばかりの様々なアイデアが出されました。 これらの計画は宇宙理学委員会や工学委員会で厳しい選定審査がなされ、最終的に 国の予算が下りました。 選ばれたのは月面ペネトレータで、小惑星への旅は再考を求められたのです(後に はやぶさに発展)。

 捨てられてしまったランデブー計画。 そこに目をつけたのは、アメリカの惑星探査を担うJPL(=NASA/ジェット推進研究所) でした。 当時失敗が続き閉塞しきっていた JPLは、小さいとはいえど 1年に 1度科学衛星を こつこつと打上げてきた日本に注目。 ディスカバリー計画を開始し、その 2機目に日本の計画に沿った小惑星探査機ニア が選ばれました。

 1996年に DeltaIIロケットで打上げられたニアは、旅路の途中に別の小惑星を通 過した後、1999年にエロスへ到着する予定でした。 しかし、軌道修正時にエンジンに不具合が発生、探査機は一時的にセーフモード (非常時の待機状態)に陥ったのです。 はやぶさと同じように、軌道の魔術師たちは残存燃料で到達できる機会を見つけ、 2000年2月14日、周回軌道に投入されました。

 不規則な形をしたエロスの表面には、クレーター、うね、馬の鞍のような地形が 見られました。 詳細な小惑星の撮影は史上初めてだったので、そのころ普及し始めたインターネッ トとあいまって、不可思議な地形にみな驚き、その美しさに魅了されました。 そのあたりの興奮は、野尻抱介氏の短編小説、『轍の先にあるもの』にあるので、 ぜひ読んでみて下さい。

 1年後、ニアは計画になかった小惑星への軟着陸を敢行。 残り少ない燃料を使い、史上初の着陸に見事成功しました。 すぐあとにはやぶさの打上が控えていたので、世界初であり続けたい、アメリカの 意地だったのかもしれません。


(藤井:大阪教育大学 2012年02月)