連載:宇宙開発裏話

【第9回 テレビ中継の歴史】

 ロンドンオリンピック、あっという間に終わってしまいましたね。 徹夜の観戦で、期間中は寝不足気味だった方も多いと思います。 海を越え、大陸を越え、全世界の人と同時に感動を共有することを可能にしたのは、 人工衛星を使ったテレビ中継です。 人工衛星を通信に利用する考えは、終戦直後の1945年10月にSF作家アーサー・C・ クラークによって提案されました。 地上からいつも同じ位置に見える静止軌道上に、 120度間隔で 3個衛星を並べれば、 少ない衛星の数で地球全土をカバーできるという画期的なアイデアでした。

 しかし、静止軌道へ衛星を打ち上げるには莫大なエネルギーと精密な軌道投入技 術が必要です。 まず、打ち上げやすい低軌道で先駆けて実験を行ったのが、AT&T社による世界初の 民間衛星、テルスター1号です。 大西洋間で初めてテレビ中継を行いました。 定位置に見える衛星ではなかったので、地上のアンテナを回転させて追跡しなけれ ばならず、通信可能な時間は1周回でわずか20分。さながら曲芸の様な中継でした。 テルスター 1号はその後、宇宙核実験による放射線の影響でトランジスターが壊れ、 故障してしまいます。 人類を一つにする技術が、人類を分断する技術によって破壊されたことは何とも皮 肉でした。

 次いで打ち上げられたのが、NASAのリレー1号です。 テルスター 1号より少し高度の高い楕円軌道に打ち上げられ、日米間の初中継が行 われました。 中継ではケネディ大統領のメッセージが流される予定でしたが、放送直前にダラス で暗殺され、衝撃的なニュースによって衛星中継の時代が幕開けました。

 アーサー・ C・クラークのアイデアを初めて実現したのは、1964年に打ち上げら れたNASAのシンコム3号です。 1号は通信途絶、 2号はうまく軌道に投入することができず、赤道上空に静止化で きたのは3号が初めてでした。 この衛星には静止衛星の父として知られる、ハロルド・ローゼンの活躍がありまし た。

 人工衛星には、地球の重力の違いや太陽の光圧などによる外乱が加わり、衛星の 向きや軌道が変わることがあります。 特に地球の自転と同期して周回する静止衛星には致命的な問題です。 そこで当初の静止衛星は、リアクションホイールと呼ばれる衛星内のコマを回転す ることで姿勢を変える制御方法が考えられていました。 しかし、当時の技術ではすぐにホイールが摩耗してしまう上、かなりの重量があり ました。 代わりにローゼンが考えたのは、衛星自体をスピンさせ、ジャイロ効果によって衛 星を安定させる方法でした。 このアイデアによって衛星は簡素化され、まだ貧弱だったロケットでも打ち上げを 可能にしたのです。

 さて、このシンコム 3号に目を付けたのが日本でした。 東京オリンピックを宇宙中継(衛星中継のことを、当時はこのように呼んでいまし た)できないものか、アメリカ側と交渉を行い、全世界に開会式や競技を中継した のです。 この衛星は本来電話通信用であったため NHKがデータの圧縮装置を開発し、テレビ 中継用に改良が加えられました。 輝かしいオリンピック中継の舞台裏には、技術陣の夜を徹した作業があったそうで す。


(藤井:大阪教育大学 2012年08月)