連載:宇宙開発裏話

【第14回 お疲れ様!ケプラー宇宙望遠鏡】

 数々の太陽系外惑星を発見してきたケプラー宇宙望遠鏡が、先日、 3年間におよ ぶ観測を終了しました。ケプラーは、はくちょう座の方向にある約17万個もの恒星 の明るさを継続的に確認し、恒星の前を惑星が横切る際に暗くなる効果(トランジ ット)を利用して惑星の有無を調べてきました。しかし今年 5月、衛星の姿勢を制 御するコマであるリアクションホイールが壊れ、精密な観測を続けることが難しく なりました。
今回は、ケプラー宇宙望遠鏡の誕生に至る歴史を振り返ってみましょう。

 宇宙でのトランジット観測に尽力したのが、ケプラーの父として知られる、ウィ リアム・ボルッキィです。1984年、彼と同僚のサマーズはトランジット法による惑 星発見の可能性をシミュレーションしました。当時はまだ、惑星の動きによってふ らつく恒星の位置を調べる、アストロメトリ法が主流でした。

 必ずしも惑星の影が恒星の前を通過するとは限りませんし、通過した時間に観測 していないとその存在はわかりません。ボルッキィらの計算では、仮に太陽系の木 星と同じような惑星を年 1個見つける場合、1万3千個の星の明るさを同時に測り続 ける必要がありました。また、木星サイズの惑星が横切る場合、恒星の明るさは約 1%しか暗くならず、地球に至ってはわずか0.01%しか暗くなりません。80年代当 時、この微小な変化を検出できる検出器は存在せず、彼らのチームは様々なアイデ アを練りました。

  1度目のチャンスが回ってきたのが1992年。大型の火星周回ミッションに失敗し たNASAは、低コストな惑星科学ミッションを募集していました。ボルッキィらは 「FRESIP」の名で提案するも、残念ながら採択に至りませんでした。その後、1994 年、1996年、1998年と提案と落選を繰り返します。検出器のプロトタイプを実際に 作って精度や解析方法を確かめたり、打ち上げやすい軌道に変えてより小さなロケ ットでも打ち上げられるようにしたり、改良と実証が続けられました。そして2001 年、ついにディスカバリー計画の10番目のミッション「ケプラー」として選ばれた のです。

 採択されてからもトラブルが続きます。NASAの予算削減によって、高速のデータ 通信を行うアンテナが可動式から固定式に簡素化され、打ち上げも2006年から2009 年に延期されました。ケプラーの打ち上げ前に、米軍の GPS衛星の打ち上げが予定 されていたのですが、ロケットの第 3段目にエラーが検出され、ロケットの正確な 動作を確認する必要がありました。そこで軍は驚くべきことにケプラーの打ち上げ を優先させ、 GPS衛星を確実に軌道に載せるための実験台にしたのです。幸いなこ とに第 3段目は無事に機能し、打ち上げは成功しました。

 その後のケプラーの活躍はご存じのとおり。これまでに見つけた惑星の候補は2470 個以上で、生命が住める可能性のある領域にある地球型惑星を複数見つけました。 まだ未解析のデータが残っており、もっとたくさんの惑星が見つかることでしょう。 今後ケプラーは、高精度に姿勢を制御する必要がない、 TTVというトランジットが 起こるタイミングを計るミッションに使われる予定です。

 ケプラーの次には、TESSという小型宇宙望遠鏡が打ち上げられます。ケプラーは 一定方向を見続けましたが、TESSは地球に近い恒星の明るさの変化を全て調べます。 人類初の恒星間航行の行き先は、TESSによって発見された惑星になることでしょう。


(藤井:平塚市博物館 2013年08月)