連載:宇宙開発裏話

【第15回 気象衛星の起承転結】

 今年の秋は日本に大型台風が相次いで接近しました。メディアで刻々と伝えられ る台風情報には、必ずひまわり 7号の赤外画像が使われています。来年度には後継 機のひまわり 8号も打ち上げられる予定です。今回は自然の脅威から人々を守って きた、気象衛星に迫って見ましょう。

 気象衛星のさきがけは、スプートニク1号のわずか2年後、1959年に打ち上げられ たアメリカのバンガード 2号です。地球の低軌道を周回し、衛星自身もスピンしな がら地上を走査する計画でしたが、残念ながら衛星の回転軸が安定せず、うまく画 像を取得できませんでした。翌年には、初めて気象観測を目的としたタイロス 1号 が打ち上げられました。捉えたのは昼の雲だけでしたが、地球を一度に俯瞰できる、 宇宙からの気象観測の有効性を世界で初めて示しました。その後、エッサやニンバ ス、 ATSといった様々な衛星シリーズにより、昼夜の雲を狙う赤外線センサーやデ ータの伝送技術、静止衛星の打ち上げ技術が確立され、アメリカでは静止気象衛星 GOSEシリーズとして今日まで16機が運用されています。

 一方日本では、これまで「ひまわり」シリーズとして、計 7機の気象衛星を打ち 上げてきました。ひまわりの愛称は、花のヒマワリが常に太陽を向くように、気象 衛星も地球を見続けることから、名付けられています。

 ひまわりが打ち上がる前にも、日本には台風の砦として、富士山頂へ建造された 有人レーダー観測所がありました。しかし日本最高峰から眺めても、探索できる範 囲は半径 800kmに限られ、離島や船舶は常に見えない台風に脅かされていました。 そこへ持ち上がったのが、静止軌道に気象衛星を 5つ配置する、世界気象機関の計 画です。日本はそのうち東経 140度へ静止する気象衛星を任されました。まだ産業 界に衛星技術が蓄積されていなかったため、アメリカのヒューズ社から技術を導入 し、日本独自の気象衛星開発に乗り出します。待望のひまわり 1号は1977年に打ち 上げられました。この後、ひまわり衛星は少しずつ国産化されていきます。

 ここで注目すべきことは、日本の気象衛星にバックアップが全くなかったことで す。打ち上げに失敗したり、衛星の機能が喪失したりすると、代替手段がなくなる 危険な状態だったのです。そして1999年、ついにH-II 8号機が、ひまわり 5号の後 継機の打ち上げに失敗します。設計寿命が尽きたひまわり 5号機を酷使し、アメリ カで代替機として待機していたGOSE衛星を借り入れ、ぎりぎりの綱渡り運用が続き ました。この状態が解消されたのが、現在活躍中のひまわり7号/6号体勢です。

 そのひまわり7号/6号も寿命が近づき、来年夏に 8号が打ち上げ予定です。次の ひまわりは8号/9号の体勢となります。7号/6号は運用終了後、墓場軌道と呼ばれ る静止軌道よりやや高い軌道へと移されます。地球の低軌道を回る衛星と違い、高 度 3万 6千kmの高い軌道を回る静止衛星は、大気圏再突入のためにロケット 1段分 ほどの推進剤が必要になるからです。地球を見続けたひまわりは、花のヒマワリの ように、成果を上げた後は後継機に場所を譲るのです。


(藤井:平塚市博物館 2013年10月)