連載:宇宙開発裏話

【第16回 中国の宇宙開発】

 先日12月14日、中国の無人月面探査機「嫦娥(じょうが) 3号」が、月の赤道付 近にある虹の入り江に着陸しました。これは1976年に旧ソ連が無人サンプルリター ンを行って以来、37年ぶりの快挙です。月の周回軌道を離脱し、エンジンを噴射し ながら動力降下をする際には、着陸船から見た映像がテレビ中継されました。翌日 には着陸船から月面車「「玉兎(ぎょくと)号」が放たれ、昼の高温に耐えるため に数日間動作を止めました。お昼寝から目覚めた現在は、月の荒野に轍を残しなが ら、慎重に探査を進めています。玉兎号は重さ 120kgほどで、NASAの火星ローバー 「オポチュニティ」と同程度の大きさがあります。電力源として太陽電池の他に、 プルトニウム 238の崩壊熱を使ったラジオアイソトープを搭載しており、14日続く 月の長い夜を耐え抜きます。
今回は中国の宇宙開発について触れることにしましょう。

 中国の宇宙開発は、ジェット推進研究所 (JPL)の立ち上げに関わった、銭 学森 (せん がくしん)の帰国から始まりました。日本の糸川英夫にあたる人で、アメ リカの初期のロケット開発を主導したあと、米軍の捕虜と交換条件に中国へと戻り ました。中国の宇宙技術はソ連から導入されたと誤解されがちですが、技術的な系 統はアメリカにあるのです。

 銭学森の指導により、中国は日本のわずか 2ヶ月後の1970年 4月に初の人工衛星 を軌道に乗せました。1990年代には、無人の回収型衛星や商業衛星を相次いで打ち 上げましたが、失敗も少なくありませんでした。中でも有名なのが、1996年のバレ ンタインに起きた長征3Bロケットの墜落事故です。アメリカのインテルサットを積 んでいたこのロケットは、打ち上げ直後姿勢を失い、推進剤をほぼ満載したまま近 くの村へ墜落しました。死者は 500人以上に上ったにもかかわらず、政府は事故の 事実をひた隠しました。事故後、上層部には、粛正に近い徹底的な責任追及が行わ れました。さらに、欧米の技術者を呼んで品質管理が見直された結果、長征ロケッ トは連続70回以上の打ち上げ成功を誇る、信頼性のあるロケットに変貌を遂げまし た。

 2003年には、米露に続く初の有人飛行が実施されています。再使用型宇宙船では なく、堅実な使い捨てのカプセル型宇宙船が選択されたことで、これまでに10人の 宇宙飛行士を安定的に打ち上げています。来年には有毒系推進剤を使わない新型ロ ケットが誕生し、2020年の完成を目指す中国版ミールの建造に使われます。

 月探査については、有人月飛行を最終目標に、段階的に技術開発が進められてい ます。まず、嫦娥 1号で無人の月周回飛行が達成されたあと、2号はラグランジュ2 と小惑星の探査が実施され、今回の 3号は着陸に挑んだのです。2017年には月のサ ンプルリターンが行われます。重力の大きい月との往復は、瞬発力のあるエンジン を使って、短時間で大きく速度を変更しなければなりません。重力の小ささに起因 する、はやぶさの困難とは異なる難しさがあり、中国は少しずつ難易度を上げて、 ステップアップしています。

 では日本の月探査はどうでしょう。大活躍した月周回衛星「かぐや」は、構想初 期では着陸も行う予定でした。しかしミッションを単純化するため、周回衛星と着 陸船を別途打ち上げる計画に変わったのです。ただ、構想から10年以上たった今も、 着陸計画は遅々として進んでいません。理由は様々ありますが、この10年で宇宙科 学予算が大幅に減額され、予算配分方針で月探査が最低の評価となったことが挙げ られます。また、日本はプルトニウムなどの放射性元素を打ち上げることができな いため、寒い月の夜を生き抜く新しい保温手段が必要でした。その技術開発に時間 を要した特殊な事情もあります。現在はイプシロンでも打ち上がる超小型月面着陸 船や、着陸せずに地震計を突きさす構想など、限られたリソースで最大限の成果を 引き出そうと、様々なアイデアが練られています。予算が尽きたんさ、と悲嘆せず、 月並みでない月探査機を築き上げてほしいですね(ダジャレも尽きたんさ)。


(藤井:平塚市博物館 2013年12月)