連載:あなたの知らない宇宙

【第52回 古代の日本人が見た宇宙(そら)】

みなさんは「天文学」と聞いて何を思い浮かべますか?? 星座? 惑星? それともビッグバン? 断片的なモノであっても、現代の私たちは、誰でも少しは天文に関わる知識を持っています。 では、古代の日本人はどうだったのでしょう。

日本人は昔から、「月」には大いに興味関心を持っていたようで、和歌などによく詠み込んでいます。 しかし、「星」となると、七夕伝説になぞらえた、織女(織姫)と牽牛(彦星)の悲恋ものがほとんどとなってしまいます。 恋の和歌は死ぬほどたくさんあるのですが、単に星の美しさを詠む歌はあまり多くありません。 古代の日本では、和歌をはじめとする文芸作品には星に関するトピックが少なく、陰陽師など天文学の専門家以外の人々の関心は薄かったようです。

古代には光害がありませんから、たくさんの星々が見えたはず。 それなのになぜ関心が薄いのでしょう。 例えば現代でも、 「実家からは天の川なんて毎日見えるよ!」 「だけど意識しなくても毎日見えているものなので星座とか星の名前とかあまり興味ない」 と言う人がいます。 (筆者の周りにも何人かいます。うらやましい限りです。) それと近いものがある、と言っては星のよく見える所にお住まいの方に叱られてしまうかもしれませんが、毎日当たり前に見えるものなので関心が薄い場合もありますよね。

それでも時には星の美しさに心動かされる人もいるようで、次のような鎌倉時代の和歌があります。

月をこそながめなれしか星の夜のふかきあはれをこよひしりぬる
(月ならば眺め馴れていたけれど、星の美しい夜がこんなに心動かされるものだとは今夜初めて知りました)

これは、玉葉和歌集(巻十五 雑歌二)に収められた建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ)という女性の和歌です。

詞書(ことばがき、和歌が詠まれた場面や経緯の説明文)には、

やみなる夜、星の光ことにあざやかにて、
はれたる空は花の色なるが、こよひ見そめたる心ちしていとおもしろくおぼえければ
(暗い夜に星の光がとりわけ美しく、晴れた空の薄い藍色であるのが、初めて見た景色のように思えてとても趣深かったので)

とあります。

古代の日本では、天文学がすでに中国から伝わっていたものの、暦の作成や吉凶の占いに使用することが多く、空に輝く星への知識としては人々になじみ深いものではなかったようです。 しかし、夜空を見上げていなかったはずはありません。 晴れていればいつでも満天の星空が見えていて、古代の日本人たちはそれをいつも身近に感じていたのではないでしょうか。 そして、彼らは天文知識として個々の星座や星に意味を求めることより、たくさんの星が散らばっている星空全体を、ひとつのモノとしてとらえていたのかもしれません。


参考文献:
鈴木健一編『天空の文学史 太陽・月・星』、三弥井書店、平成26年
久保田淳校注『建礼門院右京大夫集 とはずがたり』、新編日本古典文学全集47、小学館、1991年
井上宗雄校注『中世和歌集』、新編日本古典文学全集49、小学館、2000年




(Senoo: 2016年05月)